2025
03/10
コーヒーの起源とその歴史 Vol.4 カリブ海からアメリカ大陸へ
Contents
カリブ海から
アメリカ大陸へ
コーヒーの歴史は、ヨーロッパを経てついにアメリカ大陸へと進出しました。
18世紀、カリブ海の温暖な気候を背景にコーヒー栽培が始まり、やがてブラジルを筆頭に南米全体へと広がっていきます。
そして、北アメリカでは「ボストン・ティー・パーティー」をきっかけに、コーヒー文化が大きく発展することになりました。
先日、旅先で訪れたカリブ海の小さな農園で、歴史を感じるコーヒーの香りに包まれた。
『このコーヒーがどうやってここに辿り着いたのか』を考えたとき、私はそのルーツを辿る旅に出ることを決めた。
カリブ海で始まったコーヒー栽培、ブラジルが世界最大の生産国へ成長した背景、そして北アメリカでコーヒーが文化として根付いた理由。
実際に現地を訪れ、体験しながら見えてきた、コーヒーが大陸を超えて広がった壮大な物語をお届けします。
フランス人海軍士官が運んだ一本の苗木
カリブ海と南米のコーヒー栽培の始まり
ある日、私はカリブ海の島で偶然見つけた古びたカフェの店主と話をしていた。
彼はこう語る。
『この島のコーヒーの始まり?それは、ガブリエル・ド・クリューという男が持ち込んだたった一本の苗から始まったんだ』
時は1720年。
フランスの海軍士官ガブリエル・ド・クリュー(Gabriel de Clieu)は、パリの植物園で大切に育てられていたコーヒーの苗を手に入れる。
当時、コーヒーは貴重な作物であり、特にヨーロッパ諸国はその栽培と流通を厳しく管理していました。
ド・クリューは、海軍の任務としてフランス領カリブ海のマルティニーク島へ向かうことになっていましたが、彼の頭の中には一つの大きな野望がありました。
それは、コーヒーの苗をマルティニークに持ち込み、新しい産業として根付かせること。
しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
航海の試練:コーヒーの苗を守る戦い
彼が乗り込んだ船は、何度も嵐に見舞われ、さらには海賊に襲われる危険もありました。
そして、最も深刻だったのは船上での水不足でした。航海中、水は限られた資源であり、乗組員たちは自分の飲み水を節約しながら生き延びなければなりませんでした。
ド・クリューは、乗組員の不満を押し切り、与えられたわずかな水の一部をコーヒーの苗に分け与えました。
乗組員たちからは「そんなことより人間が生きる方が先だ!」と非難を浴びましたが、彼は決して譲りませんでした。なぜなら、彼にとってこの苗は、未来のフランス植民地の繁栄を担うものだったからです。
ド・クリューの執念が実り、彼が持ち込んだ苗はカリブ海の土に根を張った。
カフェの店主は私に熱く語る。
『この一本の苗から、カリブ海のコーヒー文化が生まれ、南米まで広がっていったんだ。今飲んでるこの一杯も、その歴史の一部さ』
カップを手に取り、一口。
どこか潮の香りが混じるような風味が、歴史の深さを物語っていた。
ブラジルへ渡ったコーヒー
南米最大の生産国の誕生
18世紀後半、カリブ海でのコーヒー栽培が成功すると、次なる生産地として南米が注目されるようになりました。
その中心となったのが、現在の世界最大のコーヒー生産国ブラジルです。
コーヒーとポルトガル帝国
当時、ブラジルはポルトガルの植民地でした。ポルトガル人は、カリブ海で成功したコーヒー栽培を自国の植民地でも展開しようと考えました。
そこで、一人のスパイが登場します。
1727年、ポルトガル政府はフランシスコ・デ・メロ・パリエッタという将校をフランス領ギアナに送り込みました。
彼の任務は、フランスが独占していたコーヒーの苗を手に入れ、ブラジルへ持ち帰ること。
彼はフランス当局の監視の目をかいくぐり、あるフランス人女性の助けを借りて、コーヒーの種を密かに手に入れました。そして、ブラジルへと持ち帰り、ここから本格的なコーヒー産業が始まったのです。
この「あるフランス人女性」は、フランシスコ・デ・メロ・パリエッタがコーヒーの種をブラジルに持ち帰る際に協力したとされる、フランス領ギアナの総督の妻を指していると言われています。彼女はパリエッタに魅了され、密かにコーヒーの種を彼に託したという逸話が残っています。
このエピソードは史実として確実に証明されているわけではないのですが、ブラジルのコーヒー産業の起源にまつわるロマンチックな伝説の一部として語られています。
18世紀後半には、ブラジルのコーヒー生産量は爆発的に増加し、19世紀には世界のコーヒー市場の中心となりました。今日に至るまで、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国としてその地位を確立しています。
ボストンの港で変わったコーヒーの運命
コーヒーは南米だけでなく、北アメリカでも大きな転機を迎えました。
その背景にあるのが1773年のボストン・ティー・パーティー事件です。
イギリスの紅茶税とアメリカの反発
18世紀後半、イギリスはアメリカ植民地に対して「茶法(Tea Act)」を施行し、イギリスの東インド会社が販売する紅茶に税をかけるようになりました。
これに反発したアメリカの独立派は、「税金を払うくらいなら紅茶なんて飲まない!」と決意。
1773年、ボストン港に停泊していた東インド会社の船に乗り込み、大量の紅茶を海へ投げ捨てる事件が発生しました。これが後に「ボストン・ティー・パーティー」として知られる出来事です。
紅茶からコーヒーへの転換
この事件以降、アメリカでは紅茶に対する嫌悪感が高まり、人々は紅茶に代わる飲み物を求めるようになりました。
そして、選ばれたのがコーヒー。
アメリカ独立戦争を経て、「愛国的な飲み物」としてのコーヒーという認識が広まり、次第にアメリカ文化に深く根付いていきました。
コーヒーがアメリカ大陸にもたらした影響
コーヒーは18世紀、一本の苗木からカリブ海に広まり、密輸や政治的背景を伴いながら南米や北米へと拡大していきました。
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カリブ海ではド・クリューの尽力により栽培が開始
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ブラジルではコーヒー産業が確立され、世界最大の生産国に
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アメリカでは独立運動を機に紅茶からコーヒーへ嗜好が転換
歴史をたどる旅の終わりに、私は港町の小さなカフェで最後の一杯を楽しんだ。
長い航海を経てここまで届いたコーヒーが、今もこうして私たちの生活の一部になっている。
そのことに改めて感謝しながら、ゆっくりとカップを傾けた。
Written by Bean Scribe
コーヒーの魅力を探求し、焙煎から抽出、文化までその奥深い世界を発信するライター。
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